理系関西人の日常

理系の関西人がちょっと笑える日常を綴ります.理系っぽい事もそうじゃない事も

歯医者でやらかした話

親の勧めで小学5年生の時に歯列矯正を始めた.

当時は歯並びなんて気にならなかったが,親によるときれいな歯の方がいろいろ良いらしい.いろいろって何やねんと思いつつも,私は「キョーセー」という単語が持つ響きが何かかっこいいと思っていたし,歯医者を理由に堂々と学校に遅刻できる自分をヒーローだと思っていた.

骨折したらヒーローになれるのが小学生という生命体である.歯なんて実質骨だからそのことで病院に行って遅刻する私はやはりヒーロー確定だ.

「なんで遅刻したん?」と問う友人に

「キョーセー行ってんねん」と漢字も書けないくせにその言葉を振りかざし,ドヤ顔をキメるのが私の楽しみだった.

だが,歯を動かす段階に入ると矯正装置の不快感と痛みでドヤ顔は次第にひきつっていき,まだしつこく残っていた乳歯をぶっこ抜かれるという治療で心を折られた私はヒーローの看板を下ろした.とにかく痛いので早く終わってほしいと毎日思っていたものだ.

「まあ,そんな長引くことはないだろう」と気楽に構えていたが,その考えは甘かった.

「成長期でアゴの発達が激しいので大きく歯を動かせない」という理由で治療が宙ぶらりんになったり,野球部の練習中,先輩の渾身のバックホームがキャッチャーミットではなく私の前歯にストライク送球になったり,いろんな邪魔が入ってずるずると長引き,装置が外れてきれいな見た目に揃ったのは大学3年生の時だった.10年以上もかかるなんてまさに歯乱万丈といったところである.

装置が外れた後は半年に一度ほどの経過観察になったのだが,就職を機に仙台を離れるため,先日の来院が最後となった.

 

半年の間に診察券が電子化していた事を知らず,カード型の診察券をドーンと差し出して受付のお姉さんを困らせるといったミニトラブルを乗り越え,おなじみの先生と挨拶と交わし,いつも通りの診察が始まった.

「今日で最後の診察になりますね.」

「そうですね~,長い間ありがとうございました.先生のおかげできれいな歯になりました.」

「いえいえ~,お疲れ様でした.」

なんかいいよねこういう会話って.患者と先生が二人三脚で頑張り,晴れて治療が終わって有終の美を飾るのだ.もしかしたら,ドラマみたいに帰る時には院長先生が出てきて握手を求められるかもしれない.担当の先生も一緒にハイチーズ,なんて展開になるかもしれない.ぜひきれいに並べてもらった歯をもって最高のスマイルで写ってやろう!若干髪ぼさぼさではあるが...前日美容院に行かなかったことを後悔し始めていた時,担当の先生が言った.

「奥歯が虫歯になっているかもしれないので,一度別の歯科で見てもらってください」

有終の美を飾ることができなかった瞬間である.私の中で繰り広げられていたステキ退院シーンはバリーンと音を立てて崩れ去った.虫歯があるなら院長先生なんか出てきてくれるはずがない.その瞬間

「先生のおかげできれいな歯になりました.」

なんてことをほざいた自分を恥じた.全然きれいな歯ちゃうやん...

いやというよりである.虫歯かもしれないって何すか?確定じゃないんすか?かもしれない診察じゃ患者は不安である.「かもしれない」の後に運転以外の言葉が入るなんて知らないぞ.金魚のように口をパクパクさせながら先生を見た.

「この病院で治療してもらうことはできないんですか?」

「できなくはないですが,うちは矯正科なので時間がかかりますし,一般の歯科で見てもらった方が早くて安いですよ」

新しい歯科を探すのは面倒だという思いがあったが,私の都合やお財布事情まで考えてくれるこの先生は神である.神がそう言うなら従う他は無い.前回の皮膚科に引き続きまたもや神に邂逅するとは,ニーチェの言うことなんて嘘っぱちである.

その後は実に淡々と診察が進み,今後何かあったら病院に電話するよう私に告げ,神は別の作業のため奥へ消えていった.ドラマ的展開は起こる気配すらなかった.そりゃそうだ.私なんて何人も担当している患者の一部に過ぎない.いちいち感動の別れなんてしてたら気が持たない.でも,一応私からの感謝のしるしとして菓子折りぐらい持って行くべきだったかしら?

だが私が歯科医なら虫歯患者が持ってきた菓子折りは受け取りたくない.虫歯の元凶のような気がするからだ.やはりこのままで良かった.

さて,虫歯告知を受けた私は一刻も早く別の歯科で治療してもらわなければならない.幸い(?),最近虫歯治療をした友人がいたのでその歯科医院を教えてもらい,矯正終了後即虫歯野郎の汚名を晴らすべく治療に臨んだ.

 

受付で問診を済ませた後,レントゲン撮影と軽い診察をされ,いくつか質問を受けた.

予約の段階で歯列矯正をしていた旨を伝えていたため,その事も聞かれた.

「矯正されていたんですね.歯を抜かれたりとかは?」

「え~と,下2本と上2本抜きましたね.」

確かそうだった.歯乱の10年の間に永久歯を2本ずつ抜いたはずだ.最初にぶっこ抜かれた乳歯を入れると5本だ.このとき「俺は歯を5本抜くという苦行に耐えてきたんだぜベイベー☆すごいだろ?」といった気持ちで自分をヒーローに仕立て上げていたかと問われたらyesと言うしかない.小学生から何も成長していない.

「親知らずを抜かれたりとかは?」

「いや,親知らずは全部生えましたが,抜いてはいないですね.」

親知らずは運よくきれいに生えてくれた,と神が以前言っていたような記憶もあった.

「分かりました.ではレントゲンの結果を見てきますので,このままお待ちください.」

あれ本当に4本抜いたっけ?と思いながらも,まあいいやと開き直り,気長に検査結果を待った.

「はい,お待たせしました~」

優しそうなおじさん歯科医がレントゲン写真とともにやってきた.

怖そうな先生じゃなくて良かったという安堵も束の間,レントゲン写真を見た私は驚愕した

下の親知らずがまだ生えてない!!!

素人の私でも分かるぐらいはっきり写っていた.これでもかというぐらい大きくて白い塊がドンと埋まっている様子が見て取れた.

どうしよう,さっき親知らずは全部生えたと言ってしまった...

レントゲンに映った2本の親知らずに睨まれている気がした.

「俺たちを無視してんじゃねえよ」と.

いや待てよ,そもそも人間の歯って何本ずつ生えるんだっけ?上下18本ずつじゃなかったか?

今肉眼で見える下の歯は14本ある.2本抜いたとして,まだ生えてない親知らずが2本あるなら,合計18本なら合点がいく.だが18本かどうかは調べないと分からない.目の前の歯科医に聞く勇気は無い.

歯科医が何か説明していたが,私は歯の本数に関する考察で頭がいっぱいで,ほとんど耳に入っていなかった.熱心に説明してくださったのに本当に申し訳ない.

「では治療の準備をしますので,少し待っててくださいね」

歯科医が席を外した.歯の本数が気になっていた私は診察室でただ一人...

 

......今しかない!!

 

私は雷の呼吸壱の型並みの速さでスマホを取り出し,

「歯 人間 本数」

という味気ない単語を検索窓にぶち込んだ.

18本,18本,18本....人間の歯は18本...

グーグル先生によると人間の永久歯は上下16本ずつ生えるそうだ.

私は天を仰いだ.どこかで抜歯に関する記憶をセルフで改変したために方程式が狂ってしまっていた.この方程式を歯科医が解いてしまった場合,私は常人より歯が多いことになるのだ.ホモサピエンスより2本歯が多い私は何者なんだろう・・・

私はダイアン津田さんが受けるいじり「君歯多いなあ」の実写版として仙台の歯科に君臨したのだ.

 

赤井さ~ん!どうしてそんなに歯が多くなっちゃったんですか~?

なんでやろなあ

真面目にやってきたからよ,ね!

あっはっはっはっはっは!

 

てなもんである.

だが,幸い歯が多いことについて言及はされなかった.もしされた場合どう頑張っても言い逃れはできなかったが,あえて見逃してくれたのだとすればこの歯科医も神という事になる.もしかしたら好奇心旺盛な歯科医から「歯の数が常軌を逸した人間」として研究材料にされないかという不安がよぎったが,治療は想像以上にサクサクと進み,あっという間に終わった.冷や汗を悟られないよう歯科医に御礼を言い,そそくさとその場を後にした.この時私は虫歯が治ったことよりも,歯の本数がおかしい事を問い詰められなかったことに安堵していた.

てか素直に抜歯の本数間違えたっていえば良いやんけと思ったあなた,それができないのが私の短所なのである.

病院を出たとき,風が背中に残った冷や汗を撫でた.だがそれに不快感は無く,むしろ長きに亘る歯列矯正がようやく本当に終わったのだという清々しさを感じさせた.長かったなあ,本当に.

サメではない私はこの歯たちと一生一緒,共に人生を切り開いていかなければならない.そう考えると口内に合計30個の仲間がいる気がする.上14個,下16個の仲間.ダチが30人もいるなんて間違いなく私は陽キャに分類されるはずだ.先ほど私を睨みつけていた親知らず達とも仲直りできた気がする.

人一倍歯には気を付けて生きていこうと誓った私は最寄りのスーパーに駆け込み,それまで見向きもしなかった歯間ブラシを購入したのであった.